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コラム

A列車jp発「鉄道がまちづくりに重要ってほんとうなの?」

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年代別の航空写真をくらべるとわかるかも?

 地図好きな人ならインターネットで「Google Map」や「地理院地図」を楽しんでいることでしょう。とくに地理院地図の航空写真モードは現在とかなり過去の比較ができるので興味深いです。「地理院地図」は出典を示せば商用でも引用できるので、インターネットの記事でもよく使われています。今回は地理院地図で「鉄道とまちづくり」を学びましょう。

ココはドコ? 鉄道と一体のまちづくり

 では、こちらの航空写真をごらんください。ここはどこでしょう?

1960年代の航空写真です(地理院地図航空写真を筆者が加工)

 1960年代、いまからだいたい60年前です。田畑が広がっていて農村という雰囲気ですね。目立つ建物といえば左側にいくつか細長い建物が見えます(A)。このあたりでもっとも歴史のある中学校です。戦前は日本帝国陸軍の演習場がありました。戦後しばらくの間、兵舎をそのまま校舎として使っていたそうです。

 右下に縦に整った畑(B)が見えます。ここは後に神奈川運動場になり、これから約20年後に、大学の分校舎ができます。これが第一ヒント。

 第2ヒントは、大手私鉄と自治体が協力して築き上げた大規模都市開発が行われたところです。第3ヒントは、1980年代に大ヒットした連続ドラマの舞台となりました。東京郊外にマイホームを建てたファミリーたちの暮らしと、ドロドロとした不倫を描く、トレンディドラマの先駆けでした。うーん、若い人には難しいでしょうか。

鉄道の周辺に街が広がる

 それでは2019年の航空写真を見てみましょう。

2019年の航空写真です(地理院地図航空写真を筆者が加工)

 ビッシリと建物に埋め尽くされています。中央にある大きな建物が駅です。線路は複線ですね。右側の南北に高速道路があります。これは東名高速道路です。右下の野球場は大学のグラウンドです。左側の中学校は建て替えられましたね。駅周辺の大きな建物は商業施設です。その北側には緑に囲まれた団地があります。

 鉄道の開通をきっかけに、というより、鉄道と一体的に整備された都市です。大規模な都市開発の中心として、鉄道会社の系列の百貨店が作られました。この駅から南北へ路線バスが設定されています。羽田空港や成田空港へ向かう高速バスも発着します。

多摩田園都市の中心です

 正解は東急田園都市線の「たまプラーザ駅」とその周辺です。

 地図を見てみましょう。

現在の地図です(地理院地図を筆者が加工)

 横浜市の北部、青葉区です。線路の北側は「美しが丘」、南側は「元石川」です。もともとすべて「元石川」という地名でしたが、住宅開発の時に「美しが丘」と名づけられました。たまプラーザ駅、美しが丘、当時は耳慣れないヘンテコな名前と言われました。その後、「第2の田園調布」として高級住宅地のブランドになっていきます。

 東急田園都市線は都心の渋谷と郊外の中央林間を結ぶ路線です。鉄道と路線バスの整備によって、東京へ通勤、通学する人とその家族が移り住み、発展しました。左側の歴史のある中学は横浜市立山内中学校です。右側のグラウンドは國學院大學。グラウンドの北側に新石川小学校があります。

ココはドコ? 鉄道の周辺が少し寂しい

 次も東京近郊です。どこでしょう?

1960年代の航空写真です(地理院地図航空写真を筆者が加工)

 1960年代ですが、多摩田園都市の1960年代より平地が多く、建物も多いですね。すでに鉄道が通っています。左上から右へ2つの線が真っ直ぐ延びて、並んで右下へ降りていきます。白くクッキリしている線が道路、やや影の薄い線が鉄道(C)です。鉄道の北側に大きな川があります。川の北側にある楕円形(D)は競輪場です。

 中央の川と線路に挟まれたところ、白いマッチ箱のような建物(E)が並んでいます。これは市営住宅です。2つの駅のほぼ中間あたりにあります。2の駅のどちらも徒歩10分といったところ。便利ですが、もうすこし駅に近くてもいいのに、と思います。鉄道会社が開発したら、もっと駅に近いところを宅地開発したでしょうね。

 線路と道路の南側は田畑が広がっています。さらに南側は丘陵地帯ですね。写真の下のほうは広大なゴルフ場(F)があります。レジャー施設が多いところですが、当時のゴルフは高級な遊びでした。庶民の楽しみは競輪場かもしれません。

新しい鉄道の周辺に宅地が広がる

 それでは2019年の航空写真を見てみましょう。

2019年の航空写真です(地理院地図航空写真を筆者が加工)

 田畑のほとんどが住宅で埋め尽くされてしまいました。川岸は護岸工事が施されています。競輪場も整えられて残りました。その競輪場の右側から線路ができています。川を渡り、丘陵に沿うように線路が伸びています。その下側は宅地が造成されています。こちらの街並みは整っていますね。下側のゴルフ場は、なんと半分になってしまいました。右側の跡地は遊園地です。

 街路に注目すると、古くからある鉄道の周辺の道は原形をとどめています。新しい線路の周辺は区画整理が行われたように見えます。とくに遊園地の右側は新興住宅地ですね。新しい線路の中心は大きめの駅ですね。ここはどこでしょう。

 ヒントは遊園地、古い線路はJR、新しい線路は大手私鉄です。ビッグヒント。大きな川は多摩川です。

ニュータウンの入口で、遊園地の最寄り駅です

 正解は「京王よみうりランド駅」周辺でした。

 地図を見てみましょう。

現在の地図です(地理院地図を筆者が加工)

 東京都稲城市は多摩川流域にあり、江戸時代に川崎と府中を結ぶ府中街道(川崎街道)が整備されました。もともと人々が多いところでした。その府中街道に沿って造られた鉄道は現在のJR南武線です。南武線の前身は南武鉄道でした。南部鉄道は多摩川の砂利を運ぶ目的で設立されましたが、後に青梅の石灰石を川崎へ運ぶための鉄道として建設されました。1927(昭和2)年に川崎~登戸間が開業し、1929年に立川に達します。

 石灰石はセメントの原料で、戦時中は需要が高まりました。また、登戸に建ちならぶ工場や川崎への通勤路線でもありました。そこで国は重要路線として南武鉄道を買収します。戦後は日本国有鉄道の南武線になりました。

 日本国有鉄道は「公共企業体」といって、国が独立採算で運営しました。ほぼ国営のため、業務内容は鉄道と鉄道を補完するバス路線に限られます。南武鉄道時代は住宅事業も行っていたようですが、国鉄は禁じられました。その結果、駅周辺は地元の不動産業者が中心となり、個別に開発されていきました。

 新しい線路は京王電鉄相模原線です。この路線は地元の誘致に加えて、京王電鉄が開発していた住宅地を結ぶために建設されました。のちに多摩ニュータウン計画が立ち上がり、多摩ニュータウンの交通アクセス手段となりました。多摩ニュータウンは多摩田園都市と違い、電鉄会社ではなく住宅公団(現・都市再生機構)と自治体が主導して建設されました。そのため、周辺は住宅公団(当時)や自治体が開発した宅地が目立ちます。整然とした街路を持っているという特徴があります。

国鉄と私鉄の沿線に違いがある

 旧国鉄路線の沿線はやや雑然としており、大手私鉄の新路線は整然とした町並みが多い。その理由は「国鉄が宅地開発できなかったから」「大手私鉄は不動産開発と連動して作られたから」です。

 1960年代に広がっていた広大なゴルフコースは、読売新聞社主の正力松太郎氏が「日本にも国際競技水準のゴルフ場を作ろう」と決意し、実現させました。インコース、アウトコースともに18ホールという大規模なコースで、遊園地はその付帯設備でした。その後、遊園地を拡張するかたちでゴルフコース9コースぶんの場所に「よみうりランド」が作られました。北側には読売巨人軍の練習場があります。

 何もないところに鉄道を敷き、列車を走らせると都市が発展します。計画的な都市開発や区画整理をしないと乱雑な景観になります。しかし、古くからの街並みのほうが、生活のぬくもりを感じ、情緒があるともいえます。近年は個別に開発された地域を区画整理して、新しい街並みが作られています。町は時代と共に、生き物のように変化しています。

掲載日:2024年7月26日

この記事の筆者

杉山淳一

ゲーム雑誌「ログイン」の広告営業からフリーライターへ転じ、「A列車で行こう7」から「A列車で行こう9」までガイドブックを執筆。現在は鉄道ライターとしてWeb記事を中心に活動する。

提供:A列車で行こうポータルサイト「A列車jp」(https://www.atrain.jp/

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