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ギャラリーやイベントでA列車をとことん楽しみましょう
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A列車で行こう ポータルサイト > 特別企画 > A列車jp発「お出かけ、のと鉄道」
目次
日本海へ突き出た能登半島。その真ん中あたりに、まるで「能登半島の口」のような七尾湾があります。
のと鉄道は、その「口」の付近を走る第三セクター鉄道です。
「口(七尾湾)」の南岸にある七尾駅(石川県七尾市)と、北岸にある穴水駅(石川県穴水町)のあいだ33.1kmを、七尾湾の西岸へ沿うように通っています。
のと鉄道の起点である七尾駅は能登半島の中央付近に位置し、能登半島の付け根付近にある金沢駅(石川県金沢市)からは、JR西日本七尾線の特急「能登かがり火」で1時間弱、普通列車で1時間半程度の距離です。
のと鉄道は、付け根の金沢駅側からのほか、能登半島の先の方からもアクセスできます。
のと里山空港(石川県輪島市)から、のと鉄道の終点である穴水駅まで、路線バスで約20分程度の距離なのです。
半島の交通アクセスは、その「半島」という形状から難しいこともありますが、能登半島の場合、金沢からちょっと足をのばして楽しんだのち、飛行機でひょいっと帰る、なんてプランも計画できます。
また、七尾駅からひとつ穴水駅側の和倉温泉駅(石川県七尾市)周辺は、「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で何度もトップに選ばれている加賀屋など、温泉地として有名な場所。
和倉温泉では、東宮殿下(大正天皇)の行啓で休憩所として使われた青林寺の客殿も近年、庭園の風景が室内に反射する「映えスポット」として人気になっています。
能登半島の真ん中付近だけを走っているのと鉄道ですが、かつてはそのほぼ先端まで、線路が続いていました。
穴水駅から、能登半島の先端付近にある蛸島駅(石川県珠洲市)までの61.0kmも、列車が走っていたのです。
この穴水~蛸島間は元々、国鉄能登線でした。
この能登線が1980年代、国鉄の赤字問題を受けて廃止の候補にあがり、それを引き受ける形で生まれた鉄道会社が、のと鉄道です。
1988年(昭和63年)3月から、のと鉄道による能登線の運行がスタート。金沢駅まで直通する急行「能登路」、眺望に優れた車両を使った観光列車的な「のと恋路号」も運転されています。
穴水駅からは、能登半島の北岸にある輪島駅(石川県輪島市)までの20.4kmも、列車が走っていました。
この穴水~輪島間は元々、JR西日本が列車を運行していましたが、1991年(平成3年)9月より、のと鉄道の運行になります。
またこのとき、同様にJR西日本が列車を運行していた七尾~穴水間も、のと鉄道の運行になります。
こうしてのと鉄道は、七尾~穴水~輪島間の53.5km、穴水~蛸島間の61.0km、あわせて114.5kmの路線網を持つ鉄道会社になりました。
能登半島北岸にあり、その先には日本海が広がっている輪島駅には、「次の駅」がありました。「シベリア」です。
駅に設置されている駅名標には、隣の駅の名前も書かれていますが、輪島駅は日本海に行く手を遮られた終点の駅。隣の駅名は、金沢駅側の1駅しか書かれていません。
よって輪島駅は、駅名標で隣の駅を書く欄がひとつ、空白でした。
その空白に、誰かがいたずら書きをしたのです。「シベリア」と。
この「シベリア」のいたずら書きが、当時の駅長の配慮によって「正式な冗談」になり、輪島駅の駅名標には、次の駅として「シベリア」の文字が明瞭に書かれました。そして駅名標が、輪島駅の名物になりました。
しかし2001年(平成13年)4月、穴水~輪島間は廃止。2005年(平成17年)4月には、穴水~蛸島間も廃止。のと鉄道の路線は七尾~穴水間の33.1kmとなり、現在へ至ります。
輪島駅があった場所には、「道の駅 輪島 ふらっと訪夢(ふらっとホーム)」が建設されました。
この道の駅には、かつてそこ駅だったことを示すレール、ホームなどが残されており、駅名標も設置されています。もちろん隣の駅として、「シベリア」が書かれています。
こうしてのと鉄道の路線は、33.1kmとあまり長くないものになってしまいましたが、その車窓からは「能登」を十分に感じることができます。
まず「海」です。
のと鉄道の七尾~穴水間は、七尾湾の西岸へ沿うように走っており、車窓に海が広がります。
この「能登半島の口」のような七尾湾は、その中に能登島が、まるで「能登半島の舌」のように存在しているため、走行位置によって車窓が結構変わってくるのも面白いところです。
「ボラ待ちやぐら」も見逃せません。
ボラの群れの様子を見張りながら網をたぐる、という漁法のため構築された、海上のやぐらです。
線路が海の近くを行く能登鹿島~穴水間で、車窓から眺めることが可能。このボラ待ちやぐら、最盛期は穴水町内に40基以上あったそうです。
また、この海はカキの養殖も盛んで、なんと駅のホームでそれを味わえます。
冬になると期間限定で、のと鉄道直営の「穴水駅ホームあつあつ亭」がホームに出現。列車からその海を眺めたすぐ後に、その味覚を堪能できるのです。
穴水町では、冬から春にかけて「冬の陣・かきまつり」「雪中ジャンボかきまつり」といったイベントも開催されます。
のと鉄道では、「屋根」にも旅情を感じたいところ。
屋根瓦には地域性があり、愛知県の「三州瓦」、島根県の「石州瓦」、兵庫県の「淡路瓦」が「日本三大産地」ともされます。
能登にも地域を象徴する「能登瓦」があり、光沢のある黒が見た目の特徴。のと鉄道の車窓には、そうした能登瓦を使った家々が現れるのです。
のと鉄道の車窓は、青い海に緑の島が映える晴れた日もよいですが、曇天や雨、雪の日も、黒い能登瓦がモノトーンの風景にメリハリをつけ、とても情緒があると思います。
また春の車窓は、ピンク色も追加です。
能登鹿島駅(石川県穴水町)の別名は「能登さくら駅」。約100本のソメイヨシノがホームに沿って植えられており、まるで桜のトンネルの中に駅があるかのよう。その見ごろには、出店やライトアップを楽しむこともできます。
のと鉄道の能登中島駅(石川県七尾市)には、全国で2両しか残っていない車両が保存されています。車体や窓に「〒」マークが書かれた、オユ10形という郵便車です。
国鉄時代、列車による郵便物の輸送が行われていました。郵便車はその専用車両で、当時の郵政省が所有。走行しながら車内で郵便物の区分け(仕分け)も行っていました。
能登中島駅のオユ10形は車内の見学が可能で、区分け用の棚などが設置された郵便局のような車内を楽しめます。
ちなみに「オユ10形」の「ユ」は、「郵便車」を表すものです。
往時より短くなったとはいえ、能登の魅力がぎゅっと詰まっているのと鉄道。その旅をガイド付きで楽しめる観光列車「のと里山里海号」も、2015年(平成27年)に登場しています。
輪島塗や田鶴浜建具、珠洲焼、能登島ガラスといった能登半島の伝統工芸品で彩られた車内には、海側を向いた座席も設置。車窓や能登中島駅の郵便車をガイド付きで満喫できるほか、沿線の味覚を盛り込んだお弁当を楽しむことも可能、でした。
2024年(令和6年)1月1日の16時10分、大きな揺れが能登半島を襲います。令和6年能登半島地震です。
のと鉄道も大きな被害を受け、全線で運転を再開できたのは地震発生から約3か月後、4月6日のことでした。
運休していた「のと里山里海号」は、「震災語り部観光列車」として再び走り始めます。「そのとき」のことを経験者が直接伝え、被災地のことを知ってもらおう、今後の防災に役立ててもらおう、という列車です。
そうした列車の性格から、車内での飲食提供、販売は行われなくなっています。
なお地震発生時、「のと里山里海号」は運行中で、郵便車が保存されている能登中島駅へ停車していたとき、緊急地震速報の警報音が鳴り響いたそうです。
1日でも早く「のと里山里海号」が再び車窓や味覚を楽しむ列車としても走り出すこと、それができる状況に能登がなることを願うばかりです。
ちなみに、2025年4月24日発売の「A列車で行こう9 Version5.0 車両キット3rd」には、「のと里山里海号」のNT300形と、一般列車用のNT200形を収録。海沿いのマップを走らせると、雰囲気が出そうですね。
のと鉄道では、被災した能登の子供たちに元気と笑顔を届けるため、2024年8月から「ポケモン列車」の運転も開始。内外をたくさんのポケモンたちでラッピングした列車で、イベントが実施されることもあります。
「A列車で行こう9」15周年と、「車両キット 3rd」の発売を記念して、「A列車で行こう9」15周年オリジナルヘッドマークが掲出された列車が能登半島を走ります。
ゴールデンウイークのおでかけは、のと鉄道で決まり!
期間:2025年4月25日(金)~5月11日(日)
掲載日:2025年4月25日
提供:A列車で行こうポータルサイト「A列車jp」(https://www.atrain.jp/)