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A列車で行こう ポータルサイト > 特別企画 > A列車jp発「トレインコンストラクション発売記念! 鉄道車両のお約束〈屋根上編:パンタグラフ〉」
電車が車体に電気を取り込む方法は主に2つあります。「架線集電式」と「第三軌条式」です。「架線集電式」は線路の上に電線を張って、そこから電車の屋根上の「パンタグラフ」で集電します。「第三軌条式」はレールのとなりに給電用レールを設置して、電車の台車から延ばした「集電靴(コレクターシュー)」で集電します。つまり、第三軌条式の電車にパンタグラフはありませんから、屋根上はスッキリしています。
パンタグラフの言葉の意味は「菱形で収縮するもの」という意味で、元祖は製図道具でした。図をなぞって拡大縮小する道具です。電車のパンタグラフも菱形で収縮する集電装置でした。しかし、現在は集電装置の一般名称になっていて、菱形ではない装置も「パンタグラフ」と呼ばれています。
機関車を電気で走らせる。そのためにはモーターに電気を取り込む必要があります。1880年代から世界中で電気鉄道が誕生しました。試行錯誤が続いた後、集電装置は大きく分けて「トロリーポール」「ビューゲル」「パンタグラフ」に集約されました。「トロリーポール」は1888(明治21)年にアメリカの電気機関車で採用されたそうです。「ビューゲル」は1889(明治22)年にドイツで発明され、同年パリ万博で披露されました。菱形のパンタグラフは1895(明治28年)にアメリカの電気機関車が採用しています。
電気機関車が成功したのち、客車にモーターを搭載すれば、機関車がなくても旅客を運べるという考え方が生まれました。これが電車の始まりです。
日本では、1890(明治23)年に上野で開催された内国勧業博覧会でトロリーポール式電車のデモ走行が行われ、1895(明治28)年に京都電気鉄道が採用しました。ピューゲルは1902年に江之島電氣鐡道(後の江ノ島電鉄)が採用しました。しかし後にトロリーポールに改造されてしまいます。1941(昭和16)年に広島瓦斯電軌(後の広島電鉄)がピューゲルを採用し、全国の路面電車が採用しました。
日本のパンタグラフの採用は1914(大正3)年からです。東海道本線の電車線(後の京浜東北線)の開業に合わせて、デハ6340系電車が投入されました。それ以前に電化されていた山手線はトロリーポールを採用していました。
ここまでの歴史を簡単に示すと、日本の電車はトロリーポールから始まり、のちに路面電車はピューゲルを採用し、高速鉄道はパンタグラフを採用したわけです。
「トロリーポール」……文字通りポール(棒)です。ばねの力でポールを持ち上げ、その先端には銅製の滑車があります。滑車の溝に架線がはさまって接触し集電します。滑車の代わりに、パイプをタテ割りにしたような溝つきの長いスリ板を使う事例もあります。
トロリーポールはもっとも単純な仕組みで、低コスト、修理も簡単です。ポールが長いほど架線を高くでき、上下の変動にも対応します。ポールの台座が回転するので、架線の位置が線路の真上でなくても追随します。架線を張りやすい電化方式といえます。
欠点としては、ポール先端の滑車と架線が外れやすく、外れた場合は手作業で戻す手間がかかります。また、架線になびく方向しか集電できないため、折り返すには手作業でポールを反転します。あるいは前後方向に専用のポールを用意して、片方を下げて使います。また、レールが分岐する場合、架線の分岐に対応できないため、乗務員が手作業でポールの位置を変更する必要がありました。とにかく手間がかかる方式です。
路面電車や初期の山手線は低速だったためトロリーポールが使われました。しかし、転がり接触によって速度が高くなると集電能力が下がってしまうため高速走行には向きません。高速で長距離運行する東海道線には不向きだったため、国鉄はパンタグラフを採用しました。
トロリーポールは路面電車からも消えていきます。線路がある鉄道よりも、道路状況によって左右に動くトロリーバスのほうが向いていると言えます。現在、日本では立山トンネルのトロリーバスが採用しています。しかし、今シーズンで運行終了となりました。以降は蓄電池バスが替わりに導入されます。
「ピューゲル」……トロリーポールを2本並べて、先端に擦り板を付けたような方式がピューゲルです。補強材も含めると「はしご」を持ち上げたような形になります。その先端の擦り板を架線に押しつけて電気を取り込みます。滑車や溝板を使わないため、架線が多少左右にぶれても擦り板から外れにくくなります。ただし、架線は線路の直上におき、擦り板の幅の範囲に収める必要があります。
ピューゲルもトロリーポールと同じように、架線になびく方向で使用します。反転も自動です。電車が進行方向を反転すると、擦り板の摩擦によってピューゲルが架線を持ち上げて、反対側に倒れます。反転場所は架線が上に持ち上がるようにしておく必要があります。
ピューゲルは架線を押し上げる力が強いため、車両の上下振動によって架線と離れやすくなります。また、速度を上げると風圧でビューゲルが下がり、架線と離れます。これを離線と言います。離れてもまた架線に接触しますから、トロリーポールのように外れにくい仕組みではあります。しかし、離線時に火花が飛ぶため、架線や擦り板が傷みやすくなります。
ビューゲルは低速な路面電車や地方私鉄で使われました。しかし、路面電車に冷房など電子機器が搭載されると、離線時の瞬間停電で電子機器が壊れる心配があります。そこで路面電車もパンタグラフへの切り替えが進んでいます。
「パンタグラフ(菱形)」……トロリーポールの手作業を減らし、ピューゲルの離線問題を解決する仕組みがパンタグラフです。関節を持つ4本のアームで擦り板を支えます。ピューゲルに関節をつけて背中合わせにしたような形にも見えます。バネによって押し上げて架線に接触し、架線の上下の動きをコイルバネで受け止めて追随させます。
複雑な機構になるぶんコストは増えます。しかし、関節付き菱形形状によって離線は減りました。前後対称の形になったため、前進後退時の位置変更も不要になりました。電車の屋根と架線の高低差によって、パンタグラフの大きさも変わります。こうして導入可能な路線を増やしたため、パンタグラフは電気機関車や電車の定番パーツになりました。そして、次々に派生型が生まれます。
「下枠交差型パンタグラフ」……菱形パンタグラフの進化版です。菱形パンタグラフのアームの下側を交差させて、上のアームを小型化しつつ、今までと同じ高さを実現しました。これは1964(昭和39)年開業の東海道新幹線0系に採用されました。
小型化の利点は軽量化です。東海道新幹線の車両は部品の隅々まで軽量化を図りました。それはパンタグラフも例外ではありません。東海道新幹線の試作車に搭載したところ、空気抵抗も少なく、風切り音も小さくなりました。その後、空気抵抗による離線の減少と風切り音の低減効果を重視して、パンタグラフをさらに小型化し、車体の台座を高くしました。
小型化のもう1つの効果は「積雪対策」です。パンタグラフの枠に雪が積もると重みで下がってしまい、離線の原因になります。下枠交差型は上面面積が小さくなるため、積雪量も抑えられます。そこで国鉄は豪雪地帯を走る電気機関車や電車に下枠交差型を採用しました。
「シングルアームパンタグラフ」……菱形パンタグラフのアームの片側だけで擦り板を支えます。「菱形じゃないのにパンタグラフ」とか、「ピューゲルもどき」などと揶揄されそうですが、半世紀を超えて集電装置をパンタグラフと呼ぶ習慣が根付いているため、もはや形に捕らわれずパンタグラフと呼ばれています。欧米では台座と2本のアームの位置から「Z型パンタグラフ」と呼ばれており、日本でもそう呼ばれることもあります。
シングルアームパンタグラフは、車体の屋根の左右中心にからアームを出し、擦り板の中央で「T」字状に支えます。利点は下枠交差型と同じで、アームが少ないほど軽量化され、空気抵抗は少なく、風切り音も減り、積雪の影響も減ります。部品点数が少ないため、低コストでメンテナンス性にもすぐれています。
下枠交差型と同様に、菱形にくらべて設置面積が小さいという利点もあります。電車の屋根はクーラーやアンテナなどの機器が多く、パンタグラフが小さいほど他の機器を配置しやすくなります。しかし、下枠交差型は部品数が多く菱形に比べてコストが高くなるため、大量に車両を保有する大手私鉄のなかには採用を見送った会社もありました。しかし、シングルアーム型でコストも解決され、軽量化も実現しました。今後の主流となるパンタグラフです。
いままでは擦り板を前後両側のアームで支えていました。片側だけにして大丈夫でしようか。実は、シングルアームパンタグラフのアームは1本ではありません。主に支えるアームは1本ですが、よくみると細いロッドが並行に設置されています。これはイコライザーアームといって、バランスを保つ役割を持っています。
新幹線のシングルアームパンタグラフは本当にアームが1本だけです。じつは、メインのアームを中空構造として、その中にイコライザーアームを収めています。風圧対策を徹底しつつ、メンテナンス性を高めているというわけです。
「T型パンタグラフ」……伸縮する太い柱の上に擦り板を取り付けたパンタグラフです。もはや菱形でもないし、菱形の片割れにも見えません。「T型集電装置」と言うとちょっとカッコいいかもしれません。
T型は従来のパンタグラフとは異なり、自動車のサスペンションに使い構造です。柱の内部に空気バネとダンパーがあり、空気バネの力で擦り板を持ち上げて架線に当てつつ、上下の動きはダンパーで受け止めて、擦り板と架線が追随する仕組みです。なお、T型パンタグラフの日本の採用例はJR西日本の500系だけです。シングルアームパンタグラフの改良が進んだため、700系以降の新幹線はシングルアームパンタグラフを採用しています。
電車が登場したときは1両単位で運用されていました。運転台は両側にあり、モーターもパンタグラフも搭載します。電気機関車の中身を抜いてお客さんを乗せるイメージです。したがって1両につきパンタグラフは1つ。それを連結した場合は、車両の数と同じだけパンタグラフが付きます。
ただし、電車の性能が上がると、すべてをモーター付きにする必要はなくなりました。そこでモーターを抜いた「トレーラー」という車両を連結しました。編成単位の車両製造費が安くなり、電力消費も減ります。これは機関車と客車の関係に似ています。2両連結の場合はどちらか片方にパンタグラフが付きます。
1954(昭和29)年に「MM’ユニット方式」の電車が考案されました。2両のモーター付き車両を1組とし、機能を分散、共有する考え方です。この方式は2両のうち1両だけパンタグラフが付きます。2両を切り離した運用はできません。近畿日本鉄道と三菱電機が開発し、近鉄をはじめ大手私鉄で採用されます。
「MM’ユニット方式」を採用した4両編成の場合、「制御車+(電動車+電動車)+制御車」となり、パンタグラフは1つです。10両編成の場合、「制御車+(電動車+電動車)+(電動車+電動車)+(電動車+電動車)+(電動車+電動車)+制御車」となり、パンタグラフは4つです。
しかし、平坦な線路が多い路線の場合は電動車が多すぎます。そこで、モーターも運転台もないトレーラー「付随車」が追加されました。10両編成の場合は「制御車+(電動車+電動車)+付随車+(電動車+電動車)+付随車+(電動車+電動車)+制御車」となって、パンタグラフは3つになります。
新幹線車両では3両で1ユニット、4両で1ユニットという組み合わせもあります。パンタグラフはユニットあたり1つです。近年は編成の全車両に電力線を引き通して、電力回路を共有する方式も開発されています。3つ以上の動力車で1つのパンタグラフを共有できます。その場合も故障したときの予備という意味で、1編成あたり2つ以上のパンタグラフ付き車両を用意します。パンタグラフを2つ搭載する電車もありますが、1つは予備です。
参考資料
東洋電機技報 日本におけるパンタグラフの歴史と東洋電機
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3049346_po_s10821.pdf?contentNo=1&alternativeNo=
掲載日:2024年11月25日
提供:A列車で行こうポータルサイト「A列車jp」(https://www.atrain.jp/)
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