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コラム

A列車jp発「トレインコンストラクション発売記念! 鉄道車両のお約束〈乗降扉編〉」

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ふだん見慣れていて当たり前のことでも、ちゃんと理由があります。
今回は電車の乗降扉のお話。
数の多少だけではなく、配置にも決まり事があります。

等間隔にこだわる

 特急電車の扉の数は1つか2つ、通勤電車の扉の数は3つか4つです。通勤電車の扉が多い理由は、同時に乗降できる人が増えるからです。同時に乗降できる人が多いほど、停車時間を短縮できます。停車時間が短いほど、列車の運行本数を増やせるわけです。

 現在、通勤電車のほとんどの車両は、片側に4つ扉を備えています。これを4扉車といいます。本当は左右にあるので8扉ですけれども、4扉のほうがわかりやすいですね。ほとんどの車両は左右両側に同じ数の扉があるので、片側だけ表します。扉同士は等間隔になっています。これは乗降客の集中を防ぐためです。

 扉の配置は以下のようになります。

4扉車(E235系)の中間車

 車端部の少し内側に扉を設置し、残り2つの扉を等間隔にします。扉は等間隔になっていても、窓の大きさは同じではありません。小窓+扉+大窓+扉+大窓+扉+大窓+扉+小窓となります。

 4つ扉を等間隔にするなら、車端部に扉を置いて「扉+大窓+扉+大窓+扉+大窓+扉」でもいいし、「扉+大窓+扉+大窓+扉+大窓+扉+大窓」のような配置も考えられます。

こんな扉の配置はない

 しかし、ほとんどの通勤電車は、「小窓+扉+大窓+扉+大窓+扉+大窓+扉+小窓」です。その理由は、「編成全体で扉の間隔を等しくするため」です。連結した姿を見ると、全体的に扉の間隔が同じになっています。車端部だけ窓が小さい理由は、隣の車両と並べたときに、扉を等間隔にするためです。

編成全体で扉の間隔を等しくする。運転台のある先頭車だけは間隔が異なる

 相互直通運転を実施している会社は、駅の乗降位置を合わせるため、乗降扉の位置を合わせています。こうして「通勤電車の扉の位置」は共通化してきました。その結果、思わぬところで効果がありました。ホームドアの設置です。どの電車も扉の位置が同じになるため、ホームドアの位置を決めやすくなりました。

 しかし、ホームドアと引き換えに消えていった配置もあります。「多扉車」です。

 かつてJRや大手私鉄では、中間に6扉車や5扉車を連結した時期があります。先頭車両に「6Doors」などのステッカーがありました。しかし、相互直通運転していると、A社はすべて4扉車、B社は一部6扉車という状況になりました。4扉車と6扉車は扉の位置が異なるため、開口部を広くするなど特別なホームドアを開発する必要があります。

山手線で運用された6扉車(E231系)

 6扉車は車両の製造コストが増えるだけではなく、ホームドアのコストもかかります。6扉車の連結が編成の一部に留まったことからも、4扉と6扉の機能に差異はなかったようです。扉の数が増えれば、座席の数が減ります。最混雑時間帯は立ち客ばかりですが、日中や早朝深夜に座席が少ないとサービス低下になります。

特急は2扉

 有料特急車両の扉の数は車端部に1つ、または2つです。扉が少ない理由は、客室を広く取り、快適にするためです。客室が広いと座席数も多くなります。また、扉のある位置(デッキ)と客室に扉を設置することで、客室の空調や静粛性を保ちます。

 扉が少ないぶん、通勤電車より乗降に時間がかかります。しかし、有料特急車両は指定席が前提となっているため、そもそも乗客数は少ないわけです。乗降時間を長くするため、停車時間を長くしても、高速で走るため所要時間には影響しません。通勤電車の停車時間は10~15秒程度ですが、特急列車は1~2分の停車時間を設定します。

特急車両は両端に2扉(E5系)

 特急車両は、車端部に扉を設けた2扉車が基本です。しかし、新幹線の先頭車両などで1扉車もあります。客室を少しでも広くするためです。変わり種としては、扉のない車両もありました。東武鉄道の特急「りょうもう」に使われている200系電車の4号車です。先代の急行形1800系を特急形200系に置き換えるときに、先頭車が流線型になり定員が減りました。そのぶんを中間車の定員を増やして補うため、ドアとデッキを設置しませんでした。乗降客は隣の車両の乗降扉を使います。

東武鉄道200系
4号車は扉がない

扉の数の変遷

 車両の扉の数で、その車両が走る路線の性格がわかります。東海道本線の電車の変遷をたどってみましょう。東海道本線の東京~横浜間は、長距離列車、中距離列車、そして通勤電車が走る路線へと変化していきました。扉の数は路線の混雑度を知る手がかりともいえます。

 東海道本線は駅間が長く、主に長距離列車を運行しています。電車の登場は1914(大正3)年から。東京駅開業に合わせて、東京駅~高島町駅(のちに廃止)間で運行しました。この電車は東海道本線と区別されて「京浜線」と呼ばれ、のちに東北本線へ延伸して京浜東北線となりました。当初は片側2扉でしたが、乗客が増えたため3扉の電車が投入されました。また、専用の複線線路が与えられ、長距離列車と運行が分離されました。

 当時の東海道本線は機関車が客車を引く列車が中心でした。普通列車も2扉で、車体の両端に扉とデッキを備えています。当時は普通列車も特急・急行列車も、片側2扉の客車が主流でした。近距離用の3扉電車が特殊な存在でした。

 その後、戦後復興が進み、東京圏の通勤需要が高まるなかで、遠方からの通勤客も増えます。東海道本線も通勤需要のために輸送強化が必要になりました。そこで、加速性にすぐれ、機関車の付け替えが不要な電車の投入が決まり、客車列車の電車化という形で80系電車が開発されました。

東海道本線に投入された80系電車。客車列車の扉配置を踏襲している (ファイル:Jnr.kuha86065.jpg – ウィキメディア・コモンズ https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jnr.kuha86065.jpg)

 80系電車は1949(昭和24)年に登場しました。東京~沼津間の電化が完成し、この区間内の客車列車を置き換えるために投入されました。ただし、客車時代の長距離輸送という役割を重視して、客車に準じたデッキ付き2扉として座席数を維持しました。茶色ばかりの電車の中で、明るい塗装と流線型の先頭車は新しい時代を告げるデザインでした。この電車から、東海道本線の電車は湘南電車と呼ばれて親しまれました。

 80系電車が投入された直後の1950年に朝鮮戦争が始まり、在日アメリカ軍から日本の民間企業に対し大量の物資買い付けが行われ、日本は朝鮮特需という好景気となりました。その結果、経済活動が活発になり、東京圏の通勤需要がますます高まります。東海道本線の乗客も増えましたが、片側扉の80系電車では乗降に時間がかかりすぎました。

 そこで、1962年に片側3扉、中距離と長距離の両方の役割を兼ね備える電車が開発されました。これが111系電車です。客車時代から続くクロスシートを維持しつつも、扉付近はロングシートで乗降性に配慮した車両です。この座席配置はセミクロスシートと呼ばれています。

通勤電車と中距離電車の両方に対応した近郊形の113系電車。3扉になった。

 1963年に中間車のモーター出力を強化したモハ113形、モハ112形が登場します。こちらが主流となったため、113系と呼ばれるようになりました。

211系電車は3扉車で、セミクロスシート車とオールロングシート車が作られた

 1960年代に製造されて老朽化した113系電車を置き換えるため、1985年から新造された電車が211系電車です。軽量ステンレス車体、回生ブレーキを採用した省エネ仕様、モーターの強化により、1編成あたりの電動車の比率を下げて、製造コストの削減を図りました。外観は113系を継承した3扉車です。しかし、増え続ける通勤客に対応するため、セミクロスシートだけではなく、オールロングシートの車両も作られました。

通勤電車として投入されたE231系電車。4扉で車内はほぼロングシート。一部クロスシートを残している

 そして2004年、次世代通勤形車両のE231系電車が東海道本線に登場し、ついに4扉車の時代を迎えました。E231系電車は2000年に中央・総武線各駅停車に投入されて、旧式の103系、201系を置き換えました。その後、常磐線快速、成田線、山手線に導入されました。東海道本線向けのE231系は中距離輸送も考慮して、トイレ付き車両や2扉車のグリーン車もあります。しかし座席のほとんどがロングシートとなり、一部にセミクロスシートを残すのみです。これで東海道本線の東京寄りは通勤路線になったといえます。

 2006年からはE231系の機能を強化したE233系が登場し、現在の主力車両となっています。
乗降客が増えるごとに電車の扉の数は増えていき、クロストートはセミクロスシートに、そしてロングシートに変わります。扉の数と座席の形は、東海道本線の役割の変化を示しています。

「扉の形」と「戸袋窓」

 客車の乗降扉にも歴史があります。鉄道開業時の客車はスイングドアでした。扉の片側に蝶番を取り付けるタイプです。ヒンジドアとも言います。スイングドアは自動ドアが普及するまで、戦前から戦後にかけて広く使われていました。

 客車の中にはデッキに屋根がなく、扉を持たない車両もありました。客室とデッキの間に引き戸が設けられました。引戸は自動化しやすかったため、客車や電車に普及していきます。

 2枚の引き戸を組み合わせた「両開き扉」は、荷物車や貨車などに採用されていました。複数の係員が荷物を出し入れする場合に大きな開口部が必要だったからです。電車の両開き扉は1953年に登場した国鉄101系電車から採用されました。両開き扉は開口部が広く、開閉時間も短くなるため、通勤電車に最適な扉です。

 両開き扉が普及すると、従来の引き戸は「片開き扉」と呼ばれるようになりました。片開き扉は両開き扉より構造が簡素で、開閉機構も1つで済みます。新幹線や特急電車は現在も片開き扉が使われています。むしろ片開き扉が基本で、両開き扉が特殊と言えます。通勤電車の扉のほうが特急電車の扉よりおカネがかかっているわけです。

JR北海道の721系電車。片開き3扉、中央のデッキで車内を2つに分ける

 JR北海道の721系電車は、普通列車用の電車ですが、片開き3扉、しかも中央の扉もデッキを持つという珍しい配置です。寒冷地の保温対策として、客室を2つに分けました。後期に製造された車両からはデッキが廃止されています。

JR四国7000系は片開き扉と両開き扉を併用する珍しい車体

 珍しいと言えば、JR四国の1000形気動車、6000系電車、7000系電車は3扉車で、車端部が片開き扉、中央が両開き扉です。運転室に近い扉を片開きとして、戸袋を中央寄りとしました。ここを両開き扉にすると、戸袋の分だけ運転席と扉が離れてしまいます。それはワンマン運転の料金収受の動作が不便なため、片開き扉として運転席と扉を近づけているとのことです。

 さらに注目したいポイントは「戸袋の窓」です。古い車両は「戸袋」にも窓がありました。採光のために少しでも窓を作りたかったようです。

 しかし最近の車両は戸袋窓がありません。地下鉄直通列車ではつねに室内灯を使っているため、採光の必要性は低くなりました。また、戸袋窓は客室側と外側に1枚ずつ作るため、この窓をなくすことで製造コストを下げています。

 ガラスは温度を伝えてしまうため、窓を減らすことは車内の空調維持にも役立ちます。ガラスは重く、割れる危険性もあります。こうした理由で戸袋窓は廃れていきました。

 戸袋窓のない電車は1960年代の軽量化車体から始まり、1980年代に主流となりました。JR西日本が103系電車をリニューアルしたときも戸袋窓を廃止しています。

国鉄103系電車。扉の隣に細長い窓がある。ここに扉が格納される
JR東日本209系電車。戸袋窓がない。客室側は広告スペースになっている

 乗降扉は鉄道路線の性格や歴史、車両の用途を反映します。トレインコンストラクションで車両を作るときは、先に乗降扉の数と形を決めると、アイデアをまとめやすいと思います。

掲載日:2024年11月22日

この記事の筆者

杉山淳一

ゲーム雑誌「ログイン」の広告営業からフリーライターへ転じ、「A列車で行こう7」から「A列車で行こう9」までガイドブックを執筆。現在は鉄道ライターとしてWeb記事を中心に活動する。

提供:A列車で行こうポータルサイト「A列車jp」(https://www.atrain.jp/

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