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コラム

A列車jp発「高輪ゲートシティのきっかけは上野東京ラインだった」

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華々しく開業した「高輪ゲートウェイ駅」。
めぐりめぐって生み出された開発用地と、未来へのまちづくりを見てみましょう。

 2020年3月14日、山手線と京浜東北線に新しい駅「高輪ゲートウェイ駅」が開業しました。

 当時、周辺は9.5haの広大な空き地でした。現在は「高輪ゲートシティ(TAKANAWA GATEWAY CITY)」として開発中で、高層ビル群の建設が進んでいます。そこは以前、山手線と京浜東北線の線路と田町電車区という車両基地がありました。

 なぜここに広大な車両基地があり、それが街に生まれ変わるのか。歴史をひもといてみましょう。

高輪ゲートシティで建設中の高層ビル(国道側)
高輪ゲートシティで建設中の高層ビル(線路側)

 「高輪ゲートシティ」は2025年3月に高輪ゲートシティ駅周辺エリアが開業し、2025年度中にすべてのエリアが開業します。ここはもともとJR東日本の鉄道用地でした。とくに電車の車両基地だった田町車両センターはたくさん電車が並んでいました。

 品川から田町まで、京浜東北線の電車に乗ると、山手線の線路をまたぐためいったん高架区間になります。そこから田町車両センターの電車たちを眺められました。鉄道ファンにとって楽しい景色です。

 田町車両センターは広大な留置線がありました。配置車両は特急「踊り子」用の185系電車は164両、特急「スーパービュー踊り子」用の251系電車は40両、快速「ムーンライトながら」など臨時列車用の183系電車、189系電車が34両、普通列車のE233系電車は210両、ホームライナーに使われていたオール2階建ての215系電車が40両などです。約490両の車両たちが消えてしまいました。どこに行ってしまったのでしょうか。

 答えは、東北本線の大宮総合車両センター、東海道本線の国府津車両センターです。電車の引っ越しを可能にした理由は「上野東京ライン」の建設でした。東京駅と上野駅を結ぶ中長距離列車用の線路を作れば、都内の一等地に電車を置く必要がない。それならいっそ、車両基地を取り払い、広大な土地を開発して利益を出そう、というわけです。

上野東京ラインの成り立ち

 上野東京ラインの構想は1970(昭和45年)年までさかのぼります。当時、東京~上野間は山手線と京浜東北線のほかに、列車線(東北本線)もありました。東北本線と東海道本線の直通運転も行われていました。

 しかし1970年に東北新幹線が計画されました。この計画では、上野~東京間の線路用地を東北新幹線に転用し、東京駅の在来線プラットホームも東北新幹線用に改造するというものでした。そこで1973年に上野~東京間の列車の運転が中止され、東北新幹線の用地が確保されました。1983年に秋葉原~神田間の線路も撤去されました。

 実際に東北新幹線の建設が始まるまで、残った線路のうち上野~秋葉原間は電車の留置線とって使われました。神田~東京間も電車の留置線と、客車列車の機関車入れ替え線として使われました。品川客車区にあった東海道線の寝台特急のいくつかは、神田方面で機関車を付け替えて、再び東京駅に戻って発車していきました。

 1993年にJR東日本は東北縦貫線の検討に着手します。いったん在来線を撤去していましたが、実は、東北新幹線の秋葉原~神田間の高架橋は、いつか在来線を復活できるように、さらにその上に高架橋を建設できるように準備してありました。

 1999年に運輸省(現・国土交通省)は東北縦貫線について都市整備調査を実施します。そして2000年の運輸政策審議会答申第18号において「2015年までに開業することが適当である路線」に指定されました。これを受けて、2002年にJR東日本は「東京駅~秋葉原駅」間の東北本線列車線工事計画を発表します。しかし、神田駅周辺から反対運動が起きるなどで、着工は2008年になりました。2013年にこの路線名が「上野東京ライン」に決定し、2015年に開業します。

高輪ゲートシティの前史

 2013年に田町車両センターが廃止され、僅かな留置線を残して田町センターとなりました。その跡地に、山手線、京浜東北線、東海道本線の上り線を寄せて、線路群の西側に大きな土地を生み出しました。この土地の歴史は今から108年前、1885(明治18年)年までさかのぼります。

 山手線は1885年に赤羽~品川間に品川線として建設されました。主な目的は貨物輸送です。東北本線と東海道本線を結び、北関東の繊維製品などを横浜港へ運ぶ役割でした。東京駅ができるずっと前です。常磐線方面からも横浜へ連絡するため、田端~池袋間の支線が作られます。これが後に品川~田端間の山手線、池袋~赤羽間の赤羽線となりました。赤羽線は現在、埼京線のルートの一部になっています。

 1904(明治37年)年の日露戦争勝利をきっかけに、鉄道貨物輸送が急増します。そこで品川沖を埋め立てて品川操車場を作りました。当時の貨物列車は貨車1両ごとに行き先が異なるため、広大な入れ替え設備が必要でした。ところが1923年に関東大震災が発生します。復興のための砂利や建設資材が増えて、品川操車場は手狭になりました。そこで新鶴見操車場へ移転しました。

 1930年に横須賀線の電車運転が始まりました。品川沖の新たな造成地に田町電車区が開設されました。1942年には東京駅八重洲側にあった機関区と客車区が品川操車場跡地に移転し、東京機関区、品川客車区になりました。1955年には東海道線に80電車(湘南電車)が配置され、東海道線の電車時代が始まりました。これ以降、田町電車区は拡張し、主に特急、急行電車の基地となりました。

 1986年に国鉄合理化のため、東京機関区と品川客車区を統合されて品川運転所となります。これが車両基地縮小の始まりでした。1998年に品川機関区が廃止されました。これは東海道新幹線の品川駅建設用地とするためでした。1999年に品川運転所に所属していたブルートレインの客車などを、尾久車両センターや熊本車両センターに移転し、留置線のみとなって田町電車区に統合されました。

2009年の田町~品川間 広大な電車基地がある(地理地図航空写真より)
2019年の田町~品川間 高輪ゲートウェイ駅と再開発地区がある(地理地図航空写真より)

高輪ゲートウェイの現在

 東北縦貫線の工事計画が発表された翌年、2003年に東海道新幹線の品川新駅が開業します。JR東日本の田町車両センター移転、跡地再開発の意向を受けて、東京都の石原知事が「広範な市街地の開発を適切に誘導するため、全体構想を策定し、東京の南の玄関口として整備する」と表明しました。これが高輪ゲートシティの発端です。JRや東京都、港区などはこの地区に新駅を設置する前提で再開発計画の検討を開始しました。

2014年に発表した新駅(高輪ゲートウェイ駅)の位置
出典
田町~品川駅間に新駅を設置し、まちづくりを進めます
https://www.jreast.co.jp/press/2014/20140604.pdf

 JR東日本は2013年までに田町車両センターの特急電車などを大宮総合車両センターの東大宮センターに移転、各駅停車用の車両を広大な国府津車両センターに移転しました。ただし、留置線の一部は始発列車用、上野東京ライン開業後に品川駅で折り返す常磐線用として残しています。寝台特急サンライズの285系電車も昼間はここにいます。

 2014年、JR東日本は「田町~品川駅間に新駅を設置し、まちづくりを進めます 」と正式に発表しました。駅名は公募したものの、公募1位は採用しませんでした。これを残念に思った著名人などが反対署名活動を実施しました。新駅「高輪ゲートウェイ駅」は2020年に暫定開業しました。まちづくりが完全ではないため、改札口など駅施設の一部を使って営業開始です。正式開業は2025年3月のまち開きに合わせるとのことです。

高輪ゲートシティ計画図
出典
品川開発プロジェクト(第1期)に係る都市計画について
https://www.jreast.co.jp/press/2018/20180923.pdf

 上野東京ラインの開業で田町電車区の車両の半分が大宮へ移転できました。そして広大な跡地に高輪ゲートシティが建設されます。上野東京ラインは高輪ゲートシティに貢献した路線とも言えます。しかし、高輪ゲートウェイ駅に東海道本線のプラットホームは作られず、上野東京ラインの列車も停まりません。これはちょっと皮肉な結果になったように思います。

高輪ゲートウェイ駅構内

 もっとも、高輪ゲートシティの南端はほぼ品川駅に接しており、将来は品川駅の北口広場も整備され、ペデストリアンデッキも整備される予定です。品川駅と高輪ゲートウェイ駅の中心距離は約900mなので、品川駅から散歩してもいいかもしれません。

工事現場からあらわれた江戸時代の築堤

掲載日:2024年9月27日

この記事の筆者

杉山淳一

ゲーム雑誌「ログイン」の広告営業からフリーライターへ転じ、「A列車で行こう7」から「A列車で行こう9」までガイドブックを執筆。現在は鉄道ライターとしてWeb記事を中心に活動する。

提供:A列車で行こうポータルサイト「A列車jp」(https://www.atrain.jp/

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